どうもCOFLOです。
緊急事態宣言も出て状況は深刻化していくばかりですが、
こんな時にスポーツがあればと思っている人は少なくないはず。
春の選抜高校野球大会までも中止になりました。
高校野球いわゆる甲子園が中止になったのは太平洋戦争時以外では初となります。
今年の出場を決めていた選手達、自分を含め毎年この時期を楽しみにしている高校野球ファンにとっては最悪の事態となりました。
夏は無事に開催してほしいものです。
さて前置きが長くなりましたが本題に移ろうかと、
今回は甲子園史上に残る数々の名試合の中でも自分が実際球場で目の当たりにした試合を皆さんと一緒に振り返れればと思います。
野球を知っている人も知らない人も松坂大輔という名前を1度は聞いた事があるのでは無いでしょうか。
そう、平成の怪物と謳われたあの松坂大輔です。
その松坂が残してきた伝説の1つに延長17回を1人で投げきり勝利したという伝説があります。
時は1998年8月20日、準々決勝第1試合で行われた南大阪代表PL学園と松坂擁する東神奈川代表横浜高校の対戦。
この年横浜高校は春の選抜で優勝しており、史上5校目の春夏連覇かかっていました。
しかもこの両チームは春にも対戦しており、その試合は横浜高校が勝利しています。
そんな因縁のある両チームの対戦、僕はおじいちゃんに連れられ1塁側の内野席で観戦していました。
当時僕は8歳でしたが、うだるような暑さと史上稀に見る接戦による観客の熱気で球場は異様なムードだったのを今でも覚えています。
試合は一進一退が続き9回の時点で5対5の同点、先攻の横浜は三者凡退、後攻のPL学園もランナーを出すものの牽制で刺され3人で攻撃を終了し、試合は延長戦へ。
延長に入っても先攻の横浜が1点入れれば後攻のPLが追いつく展開で11回迄試合は進みます。
既に投球数は相当なものではありましたがここからの松坂がまさに怪物の如し圧巻でした。
ここから更に調子を上げ15回裏まで4イニング連続の三者凡退!!
次の回で横浜が1点を勝ち越しますが、その裏のPLの気迫のこもった攻撃により松坂は1点を失い同点に。
後日談ですが、このタイミングで大会委員は引き分けとなった場合、翌日13時から再試合を行い準決勝、決勝は順延する予定だったそうです。
そして運命の17回、PLは外野のファインプレーもあり2アウト迄こぎつけます。
ここからが運命の分かれ道とも言えるでしょう。
この試合ワイルドピッチを除いてはエラーの無かったPLですが、
2アウトを取った後、ショートの悪送球によりランナーを出してしまいます。
その次の打者の初球でした。
甲子園がどよめき、凄まじい歓声が聞こえてきたのを今でも鮮明に覚えています。
次の打者が放った打球は無情にも右中間へ、
そのままスタンドインし横浜が再び2点をリードする形に。
横浜にとっては決定的な2点が入り、感激の余り涙を流す松坂の姿も。
その裏のPLは流石に反撃の力は無く三者凡退で試合が終了します。
松坂はこの3時間37分にわたる熱戦を1人で投げ抜きました。
その数なんと250球を超えていました。
この試合は甲子園の長い歴史の中でも伝説的な試合であり、
大人になり今振り返っても鳥肌が立ちます。
是非皆さんも過去の名試合をYouTubeなんかでご覧になり胸を熱くさせてはいかがでしょうか。
ドキュメントなんかもあり、観客としてでは無く選手の気持ちになってこの試合を振り返るのも素敵だなと思います。
あの夏、若かりし怪物松坂を含む両チームの選手達は何を考え、どのような気持ちで戦い続けていたのか、
常人には計り知れない勝利への執念がそこにはあったのだろう。
今年の春はそういった球児達の執念や気迫を残念ながら見る事は出来なかった。
次の夏こそは白球を追い、勝利を目指す若人達の執念を感じれる事を祈りながらこのブログを書き終えたいと思う。
それではこの辺で。