COFLO BLOG

May 2nd, 2020

廃墟

どうも力身です。
5月になりました。早いですね~。
これからは暖かい日が続き、過ごしやすくなりそうです。
ちょうど良い気温なので
ランニングをしたり、汗をかいて
重くなってきた体をリフレッシュしたいものです。
前置きとは何ら関係はありませんが
今日のブログは”廃墟”についてお話ししようと思います。
まず廃墟と聞いて、何をイメージしますか?
一般的に怖い、不気味などという方が多いかと思われます。
でもこのブログを読み終わった後には
少し考え方も変わるのではないかと
まず廃墟とはを例で挙げると
皆さんも良く行くであろう難波、
その付近で見られる廃墟が、つい最近までありました。(もう完璧に解体されたのかな?)
難波駅前の『ニッコーカメラ』です。
こちらは台風の影響で倒壊し、手付かずになり放置されたケースの廃墟みたいですね。
ではここで本題に
廃墟の何が良いかをダラダラ書いていきます。
まず私が小学2.3年の時に
本屋で廃墟本という本を立ち読みしたのがキッカケで廃墟にハマりました。(下記が廃墟本シリーズ)
そこで出てくる数々の廃墟を見て
私は当時なんで廃墟になったのか?どんな人たちがいて、何に使われていたのか?
数々の疑問が頭の中に出てきて、不思議やなという思いでした。
家に帰り購入した廃墟の雑誌等に出ている実名公開された廃墟を
PCで検索し、その廃墟のルーツを探るのが楽しかった思い出があります。
その中でも私たち日本人が知っている廃墟のルーツを簡単にお伝えしようと思います。
学校で習っている方もいるかとは思いですが、一度おさらいを
そこは日本で1,2を争う廃墟として有名な軍艦島こと端島です。
当時最盛期で5600人の人口がいたと
それは当時の人口密度世界一にもなるほどの人口数。
相当栄えていたのだと。
まずそこまで栄えたのは、この端島には当時1960,70年前半まで主流だった
主要エレルギー”石炭”がわんさか採掘できたことからに繋がります。
その主要エネルギーも私たち若者には当たり前な”石油”に移行していきます。
そうなると端島に住んでいる大数の石炭採掘労働者は仕事を失います。
そこから急速に島離れが起き、廃墟になっていくのです。
軍艦島の廃墟は建物としても素晴らしく
鉄筋コンクリートの集合住宅が密集して島というアンバランスな雰囲気と時代背景が重なり魅力的だと
ちなみに7階建の鉄筋コンクリートの集合住宅、これは日本で一番早くに出来たのが軍艦島です。
それだけ軍艦島の重要性がわかりますね。
日本は今では他国と渡り合える技術を持っていると思いますが、
それは急激な世界の近代化のスピードについていった
日本の軍艦島(端島)があったからこそ成り立ってるのです。
誰もが一度は写真で見たことはあるとは思いますが
一度は立ち入りたい廃墟ですね。
もう老朽化も進んでいるので早めに行きたいです。
今のように廃墟のルーツを幾通り見ているとのめり込まれ
廃墟が好きになっていました。
その他にもネットに載っているような有名な廃墟を見るのも良いのですが
自分の住んでいる地域周りの廃墟(シャッター商店街、廃屋など)だったりを見つけて、何故こうなったのだろう?
昔は栄えていたのかな?と思い見るのが醍醐味です。
でも廃墟の敷地内に無断で立ち入るのは、犯罪です。
肝試しなどで行く方が多いかと思われますが危険なのでお止めください。
廃墟を目の前にして楽しむ、それが全てです。
と言いながらも何度も入ったことはあります。
好きなので。
いやダメなので
代わりに行ってくれる方を紹介します。
シェインさんという写真家の方で
@violent_crumble
インスタグラムで気軽に見られるのでオススメです。
写真の撮り方も冷たく廃墟の良さをわかりやすく伝えてくれる方で
外国人から見た日本の廃墟はどう映っているのかも面白いです。
ちなみに先ほど言っていた軍艦島も行っております。
是非気になる方は、見てみては?
ではこの辺で
さらばじゃ